高齢者・障がい者問題対策委員会

当委員会は,高齢者・障がい者の中で,とりわけ社会的に不利な状況にある人々の権利擁護をし,誰もが生きやすい社会の構築を目指しています。

ー高齢者・障がい者が主体となる支援をー


【1】社会的要因で起こる問題 「全ての人権及び基本的自由が普遍的であり、不可分のものであり、相互に依存し、かつ相互に関連を有すること並びに障害者が全ての人権及び基本的自由を差別なしに完全に享受することを保障することが必要であることを再確認し」これは、障害者の権利に関する条約から抜粋したものです。

   かかる条約は当たり前のことを言っています。この条約にどうしてこのような記載があるのでしょうか。それは、こうした当たり前のことが、社会において実現されていない現状があるからです。どうしてそのようなことが起こるのでしょうか。それは社会的な要因がそうさせるからです。社会的要因とは、社会構造によって生じるものであり、それが個人に影響を及ぼします。

   所得、健康状態、障がい、年齢などは、人の一側面にすぎない要素にも関らず、それが多岐にわたり人生に影響を及ぼし、人の「自らの人生を自分らしく生きる権利」を阻んでしまうことがあります。そういった状況は、一見、個人的要因に拠るように見えるかもしれません。しかし、それは違います。それを理解するために、かつて「障がい」という概念がどのように捉えられ、変遷してきたかを概観したいと思います。

   かつて、障がいは、個人に帰属する問題として捉えられていました。障がいは、個人の心身機能から引き起こされるものであり、よって、その個人の自由や権利が制限されるような困難に直面した場合には、適応や克服を個人自身に求めるという考え方です。しかし、直面する困難は、社会側・環境側の要因次第で発生・消失するものです。また、自由や権利は、障害のあるなしに関わらず、すべての人に等しく保障されるものです。それゆえ、直面する困難は個人に帰属する問題であるとする収斂・矮小化された捉え方は不適当であり、それを生じさせる社会構造にこそ問題があるという捉え方に変化していきました。

   障がいという概念に限らず、問題の本質を捉えようとするならば、個人と社会を一体として捉える視座が必要です。個人が直面する困難を考える時、所得格差が生まれる社会構造、健康状態や障がい、年齢等により差別を生じさせる社会構造、そのような社会構造の問題を抜きにして、困難を個人の問題に還元することは、個人を社会的に抑圧し、その自由や権利を侵すことに繋がるものです。

   人は抑圧により、本来有している力を奪われます。それにより声を社会に届けることが難しくなります。それに対して、届きやすい声が、社会一般のコンセンサスであるとして社会はそれに沿って設計されていきます。その結果、社会の抑圧構造が強化され、抑圧される人々の生活の質は低下し、社会参加の機会が乏しくなり、ますます声が届かないという負の連鎖が生じます。

   社会において、一人一人がかけがえのない存在として、尊厳を有し、その人らしい人生・生活を送る権利は、誰しも等しく保障されています。それにも関わらず、社会的抑圧や社会的不利益を受け、自由や権利が侵される状況にある人がいるならば、弁護士や司法書士は、権利侵害からの回復支援をし、権利行使を支援する権利擁護活動により、自由かつ公正な社会形成に寄与する必要があります。自由と公正、人権は互いに循環的な存在です。互いの存在が内在するものであり、どれかひとつでも欠けたならいずれも並び立ちえません。


【2】社会的要因が引き起こした「身寄り問題」
   社会的要因により、様々な問題が生じていますが、その一つに「身寄り問題」があります。

   これまでの社会は、高齢者が抱く困難については、その家族による支援を当然のこととして扱ってきました。ところが、少子化、核家族化、都市への人口集中などにより、家族機能は縮小していきました。そうした中、介護の社会化により介護保険が導入されましたが、介護現場では、不足する人員と、増加する介護ニーズに、キャパオーバーを生じ、その業務量に耐え切れなくなってきていることは、誰もが知るところかと思います。そして、さらなる家族機能の低下により、それに留まらない新たな問題も出始めています。

   2015年頃から介護施設や病院において身寄りのない方の利用が増え始めました。家族機能が有効であった時代は、高齢者の方が施設や病院を利用するのにあたって、お金の管理や万一の際の身元引受については家族が行うことで問題は殆ど発生していませんでした。当然、身寄りのない方が利用されることも時折ありましたが、施設や病院のソーシャルワーカーが支援することで賄えてきました。しかし、身寄りのない方の増加により、それも限界が来ています。

   そうした状況を背景に、身寄りがないことにより、様々な場面で苦境に立たされる問題が生じています。具体的には、病院や施設で身元保証人を求められるも、それを用意することができない状況の方が、入院・入所を断られるという事態です。

   こうした事態に際し、家族機能の代替を行うという形で、これを商品化した高齢者等終身サポート事業が生まれました。しかし、その中には、高額な保証料を徴収したり、真意に基づかない遺言・死因贈与によって不当な金銭を取得するといった形で、当事者の苦境に乗じ、当事者を搾取する悪質な事業者も現れ、こちらも、現在、問題となっています。

   本来、身寄りの有無や、資産や収入の多寡に関わらず、誰しもが医療や施設利用ができる権利は保障されなければなりません。いちょうの会の弁護士・司法書士は、社会に声を上げ、これらの問題の解決に当たろうとしています。ナショナルミニマムとして、誰しもが、入院や施設入所ができるような社会の実現を目指し、身寄り問題の解決の一助となるべく、ご本人が安心して病院や施設を利用できるよう、別の形でのサポート提供の在り方を模索する取り組みを進めています。

【3】主体性を取り戻す運動
   現在、障がいは、社会的要因にこそあるという捉え方が主流となっていることは上述しました。それゆえ、問題の解決に当たり、社会を変えていくことが、もちろん重要になります。しかしながら、これだけでは問題の解決には至りません。その一つとして指摘されているのが、支援の在り方です。

   これまでの支援の在り方では、ご本人が自分自身の在り方に十分に参画できていませんでした。詳述すると、これまでの障がい者支援の在り方は、社会構造といった観点から見た俯瞰的な捉え方や、支援者の専門知による捉え方が重視されてきました。ご本人のことであるにも関わらず、本人の思いや声が自分自身の在り方に十分に反映されず、ないがしろにされがちだったのです。

   そこで、現在、さらなる潮流が生まれています。それは、当事者の声を中心に据える取り組みです。

   現在注目を集めている取り組みの一つである『ナラティブアプローチ』では、現実の多義性を重視し、多様な価値観を尊重し、その差異性を大切に扱います。「物語としての自己」と捉えることで、当事者が抱える問題を外在化させ、当事者が問題と主体的に取り組むことを可能にしていきます。

   また、当事者による困りごとの研究として『当事者研究』が行われています。当事者研究は、支援者が当事者のことを決めるのではなく、当事者が当事者自身の困りごとを研究し、それを「大切な苦労」として自らに取り戻します。またナラティブアプローチと同様に困りごとを外在化させることも特徴で、その過程を通し、自己のアイデンティティを回復していくのです。

   当事者の語りは、当事者自身の変容も促します。『オープンダイアローグ』という取り組みでは、「リフレクティング」と言われる手法が特徴的で、当事者が発信した話について、聞き手同士が対話を行います。これまでの手法では、支援者は支援者のみで本人のことを検討してきましたが、オープンダイアローグでは、開かれた対話として、本人の目の前で支援者が専門性を捨てて感じたことを話し合います。その対話を当事者が見聞きすることを通して、当事者が感じたことをさらに発信するということを繰り返すことで、当事者の真なる声に気づいたり、当事者に変容が生まれたりするのです。

   このように、当事者が自律的に自己の在り方を選択するとき、自分の人生の舵を切ることができている実感を得ます。これを実現するサポートをすることが、当事者が主体となる支援です。しかし、このような当事者中心の支援を弁護士・司法書士が行ってきたのか、それについて改めて以下に考えてみます。

【4】弁護士・司法書士による支援の在り方の変容の必要性について
(1)法学は当事者を客体化しやすいこと
   福祉支援では、もしご本人に判断力に問題があったとしてもご本人にしか語り得ないものをとても大切にします。なぜなら、ご本人がご本人を最もよく知る、一番の専門家であるという認識を起点として、ご本人に敬意を持ち、その意思を尊重する姿勢を大切にしているからです。

一方、司法書士の登記実務においては、ご本人の判断力は、例えば、意思能力の有無など、取引の安全に問題はないかという視点でもって語られます。つまり、司法書士は、登記制度の保全という社会的役割がある為に、ご本人の意思について絶えず客体化を迫られる存在なのです。このことは弁護士についても同じように言えます。弁護士の業務、例えば訴訟業務など、意思能力の有無というのは、常に問われることであるからです。

(2)現代法律実務は一時的であること
   現代の法律実務は、裁判や登記その他手続きの完了の時点を考え、そこから逆算的に準備して考えます。
   一方、福祉支援はどうでしょうか。このような一時的な時間性を指摘できるかというと、それとは異なった答えが返ってくるでしょう。ご本人の生活は続きます。ある期日を以て終了するわけではないのです。このような長期的視野に立った支援は、これまでの法学の実務的発想ではあまり採り入れられてきませんでした。

(3)法学が果たせること
   では、法学にはこのような支援はできないのでしょうか。それはきっと違います。
   実務においては、一時点を観念においた裁判規範性に依拠して語られてきましたが、社会規範性(あるいは行動規範、生活規範)を重視した法の捉え方も可能です。この捉え方においては、社会において人々が生活を送る上での行動基準としての価値判断を法的判断の基礎に置きます。裁判的な法律解釈の認識ではなく、解釈のための認識を以て法律実務に当たろうとする捉え方で、この場合、解釈の為に他分野の英知を元にした法的支援の在り方を採ることもできます。他分野の英知は、必ずしも一時点のみを観念しません。

   この考え方は、判断を法学の外部に追い出すわけではなく、法学を社会における制度設計として捉え直そうとするものです。ここに法律(関連)職としての専門性を活かした支援の道が開かれます。人権を保全する為にはこのような支援の在り方を検討しなければなりません。裁判でこうなるだろうからではなく、根源的な法律の正義や規範性を以て、長期的視野に立った支援を検討しなければならないのです。

【5】支援者への支援の必要性
上記は、高齢者や障がい者が主体となった支援を志向するものですが、弁護士や司法書士も、体制が整わないと、当事者主体の支援を継続して行うことは困難です。私たちは社会資源の一端を担いますが、有限性ある存在です。当事者主体の長期的視野に立った支援を志向するならば、他の業務や時間との兼ね合いで理想と現実のギャップにより疲弊が生じやすく、バーンアウトの危険性が指摘できます。そうした構造から脱却する為には、しかるべく支援者への支援がなされなければなりません。そのためには一人で抱え込むことなく連帯して協力することが求められます。その為に、いちょうの会は連帯して行動をするのです。